広島高等裁判所 昭和41年(ツ)16号 判決 1969年6月05日
上告人 安村商事株式会社 外二名
被上告人 松崎郷司
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人等の負担とする。
理由
上告代理人の上告理由は、別紙理由書(上告理由書および追加上告理由書分)記載のとおりである。
上告理由第一点および第三ないし第五点について。
原審が、被上告人の法定代理人親権者母松崎恭子は、本件土地を上告人安村商事株式会社に譲渡した際、その表示した動機に錯誤があつたものと認めたことは原判決の挙示する証拠によつて肯認することができ、これが譲渡の意思表示につき要素に錯誤があるものとして無効であると判断したことは相当と認められる。
所論は法令違反あるいは理由不備をいうが、前記事実認定を非難するものか、原審の認定しない事実を前提として前記判断を争うものであつて採用できない。
同第二点について。
原審の確定したところによれば、被上告人の親権者父松崎巧、母松崎恭子が被上告人に代つて本件土地を上告人安村商事株式会社に譲渡したが、右松崎恭子に右譲渡の意思表示につき要素の錯誤があつたというのである。このように、親権者たる父母が共同して子に代り法律行為をした場合に、その一方の意思表示に無効原因が存するときは、共同親権の原則にかんがみ、右法律行為は無効と解すべきであつて、この点についての原審の判断は相当である。
所論は、民法八二五条を根拠として、原審の右判断を不当とする。しかしながら、同条は、本件の場合と異なり、親権者たる父母のうち一方が共同の名義で子に代つて法律行為をした場合についての規定である。右の場合においては、その一方は当該法律行為をするについて他方の許諾(授権)を得ることを要し、許諾がなければその行為は本来無効とされるべきものであるが、その行為の相手方としては、右の許諾自体は自己の関与するところではないからその有無を直接知りうべき立場にはないし、子の父母であるとともに互いに夫婦の関係にある者の一方が双方の名義で法律行為をする以上、他方の許諾を得ているものと信じるのは、もつとものことといわなければならない。民法八二五条はそれらの点を考慮して、右の許諾がないときでも相手方が悪意でない限りその法律行為の効力は妨げられないものとし、取引の円滑と安全を図つたのである。右の立法趣旨から考えると、同条の規定を本件のような場合に類推適用すべしとするに足りるだけの根拠はないというべきである。従つて、所論は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 辻川利正 浜田治 村岡二郎)
(別紙)
理由書
第一点重要な法令違反(民法九五条の適用過誤)
原判決は本件土地の所有権移転行為は被上告人の決定代理人の錯誤による意思表示であるから無効であるとし、上告人等の敗訴を言渡され、その錯誤を論定する理由として、松崎恭子が本件土地を無償で提供する承諾をしたのは上告会社安村商事株式会社(以下安村商事と略称)が当初より「長沢観光株式会社の設立と、松崎恭子の社長就任がともに確実である」と思い込ませたためであつて、これが「いつわりであつて、巧(訴外松崎巧)の個人的な債務のために処分されるかも知れぬと察知したならば、」「到底提供することを承諾する筈のなかつたことはみやすい道理である」「そのことは同控訴人(上告人)としても十分承知していたことを窺知するに十分である」とし錯誤が動機の点にあるにしても、法律行為の内容部分、即ち要素の錯誤にあたるばあいである旨を説示せられた。しかし、法律行為の動機段階としての決意事情が法律行為の決定せられた内容そのものと同一視せられるがためには、その法律行為の意思決定にいたつた事情とその結果の内容についての阻誤とおなじ程度の重大さをもつことでなければならない。「そんなつもりではなかつた」というような失望、期待はづれ、または憤慢であつたとしてもその意思表示の内容を履行する、あるいは、実現するにはその内容は到底忍ぶことにおいて不可能ではなく、なんとか耐忍することもむしろやむをえないところとすべきばあいは、詐欺による意思表示としての救済手段にしたがうべく法律行為の要素に錯誤があるとすることはできない。次に一方の当事者がその表意者にたいして申向けた一定の事実が、客観的には、そ誤が存することを一方の当事者が認識していた(たとへば弁済はできないかも知れないと思いながら、金借を申入れるが、何とかして返金はしたいという内心がある場合)ことだけをもつて足るのではなく、一方の当事者において、表意者をだまし、その結果表意者の表意をなさしめようとする不正意思(偽罔意思)の存することを要することは言をまたない。
ところが原判決の認定によつては、松崎恭子が土地提供を表意した昭和三三年三月二九日(甲第六号証)或は四月七日(乙第一号証)の時点において、上告人(安村商事)が松崎恭子に申向けた判示言辞が詐言(不実であることを自覚し、かつ、松崎恭子をいつわる意思の言辞であること)であつたことについては判定を示されたゞけでそのこれを納得すべき事実が明かになされていない。
松崎巧が安村商事との間の債権関係について、両者間に解決を講じるにいたつたのは、上告人(安村商事)が昭和三三年三月二九日土地の使用権を提供し、同年四月七日所有権売却の意思表示をうけ、本件土地の所有権売買代金決済を二年後としたものである。(乙第一号証)しかし、これらのことをもつて原判決は松崎恭子を設立会社の社長とする意図がないのに、上告人は右会社設立等のことをもちかけたものとせられるのである。その土地(使用権および所有権)提供が有償にして二年後に支払われると、または、使用権の無償名義の提供であるとにかゝわらずさらにまた所有名義を上告人(安村商事)にすると否にかかわらずその故に土地所有権が将来生誕すべき観光会社設立について、現物出資に供せられることを害する必然性のないものとすることはできない。
これらの事実をもつてしては、直ちに上告人(安村商事)が会社設立の意図を有しないものとする当然の理はどこからも出てこないのである。従つて上告人(安村商事)において松崎恭子を社長とする意図がなかつたとする前記判旨はその認定が論理法則に外れたものであるといわなければならない。
また松崎巧の安村商事にたいするかつての判示不始末については、その解決のため同人の妻子として遂にやむなくこれに協力することはむしろ妥当というべきであり、単に「夫巧に不安をいだき親権者としての立場から過敏であつた」というぐらいのことでは、会社設立がうそであつても、事こゝにいたつてはだれでも土地提供をやむをえぬことゝして承認し、もしくは承認すべきであろうとすることが母たる親権者として子の立場にたいする穏健な措置であり、また夫婦生活上の常道というべきであろう。この点から考へても土地提供の縁由たる事情をとらへて、これを法律行為の要素であるとし、錯誤による無効を論定するのは動機にたいする過大評価といわなければならない。ことに上告人(安村商事)としては、当時、未だ会社設立等を断念しておらず、万一、会社設立の成効にたいし不安があつたとすれば、心境の一隅の不安感程度の認識自覚があつたというにすぎない。その心境を訴り告げたものでないことはあきらかである。その判示いつわりの心境を知るべき事実ないし証拠について原判決はこれを挙示せられるところがない。そうであるとすれば原判決において、本件法律行為が要素の錯誤によつて無効であるとせられたことは、その認定判示せられた基礎事実において到底承服することができない。従つて民法第九五条第一項の法令違反として破棄せられるべきであると思料する。
第二点重要な法令違反(民法第八二五条違反)
本件土地所有権移転の法律行為は、未成年者の親権者父母においてこれを代表すべきところ、原判決は、未成年者松崎郷司の母である松崎恭子の同未成年者のためになした法律行為は錯誤に因る無効の法律行為であるから、親権者の共同上告人(安村商事)に対する不動産所有権移転の本件法律行為は無効であるとの趣旨を判定せられた。
しかし、民法第八二五条は父母が共同して親権を行う場合に、そのうち父母の一方の意思に反したときでも、これがためにその効力を妨げられることがないことを定めているのであつて、本件でいへばたとえ母の行為が無効であつても、母としてはすでに表意の行為をなしているのであり、父の行為によつて、その効力を生じ、母の行為の無効によつては、直ちに効力の発生を妨げられることはないと解すべきである。このばあい、その相手方である上告人(安村商事)は悪意であるから、父の行為だけでは効力を生じないとの論があるかも知れないが、母の行為は上告人(安村商事)にたいする法律行為としては無効であるとしても、父と共同する意思すなわち親権者として父と同じ方向の意思を表明した事実(親権者父との間の意思連絡の事実)そのものは父との間の法律行為ではなく、両人の関係において、母である松崎恭子がその関係を認識して上告人(安村商事)にたいして法律行為をなした「事実」にほかならないから、「共同名義」で意思表示をなしたとえらぶところはなく、共同名義ということまでも、なさなかつたことゝなるべき理由はない。
このことは、表意の姿において両人共同行為である以上その内容において、錯誤があり不動産の提供は母たる松崎恭子の意思に反することであつたとしても、父たる松崎巧の意思表示の趣旨にしたがいその効力を発生するものであるといわなければならない。とくに、前示法律行為が共同としてなされたこと(甲第六号証。および登記手続)および、上告人(安村商事)の悪意があつたことについて第八二五条本文の適用を排除すべきばあいは、その利益を享受すべき者において、そのことを主張立証すべきであるといはねばならない。しかし右法律行為の当時松崎恭子の法律行為について松崎恭子が初めから拒絶し反対したのであるわけはなく、したがつて、松崎恭子の行為の無効性のゆへに結局松崎巧の行為とその内容において相反するものであることについては認識を有していなかつたのであるから前示法律行為の「相手方が悪意であつた」ものとして民法八二五条本文の適用が排除せられるべきではない。そうであるとすれば、松崎恭子の行為は錯誤により無効であるからその法律行為は効力を生じないとせられただけで、そのことが未成年者の父である松崎巧の法律行為の効力について顧みるところがなく、直ちに被上告人の本件請求を許容せられた原判決は民法第八二五条違背の批難を免れない。或は松崎恭子の行為は無効であり、初めからなかつたと同じであるから、その共同名義の表意は何等の効がないとの解釈であるかも知れないが、それは松崎恭子の上告人(安村商事)にたいする法律行為の効力の問題であつて、それが後日にいたつて無効が宣言せられることに属し、前示法律行為のなされる時点において上告人(安村商事)がその無効であることを知つていたとの「事実」については被上告人の主張も立証も存しないのである。それのみでなく上告人(安村商事)においては却つて前示法律行為について後日の紛争のないことを信じまた信じればこそ、すべての爾後的措置のとりはこびをしたのである。このことは明白であるから、松崎恭子の法律行為は、よしや無効に帰すればとて、所有権移転の効力を否定すべき結論を肯定することはできないと思料する。
第三点理由不備
法律行為が無効であるとせられるには、その行為の以前またはその行為のなされた時点において、既に無効原因が存していなければならない。そうでなければその法律行為は爾後において取消されるか解除せられるかにすぎない。
原判決が本件松崎恭子の法律行為は要素に錯誤があるとするについて、上告人安村商事代表者が観光株式会社を設立することを企てるにいたつたのは「昭和三三年三月ごろ」であること、松崎恭子を右会社の社長にする条件をもちかけて土地使用許諾の法律行為をなすことを承諾させたことは「昭和三三年三月二九日」であること、右観光会社の設立準備総会が「昭和三三年四月九日」ひらかれ本件法律行為の趣旨に副う発言討議がなされたこと、証人清水昭義の証言によれば松崎恭子を「社長に就任させる話は、松崎(巧のこと)からも安村からも直接聞いた。」ものであるとせられたこと、等は原審の認定判示せられるところであつて、それらの挙措がすべて見せかけであつて真意をともなはない欺罔の手段であつたことを知るべき事情およびその認定判示の存しないかぎり右の認定事実によれば、安村虎之助が、松崎恭子にたいし、観光会社の設立および松崎恭子を社長にすることは、初めからその意思がないのに、これをいつわつてそれに因つて本件の法律行為をなさしめたと認めることはできない。(四月九日の前示会社設立準備会および証人清水昭義の証言趣旨がいづれも形のみで実質的には虚偽であつたとは原審の認定しないところである)
原審の挙示せられるこれらの資料によつては判示の松崎恭子の法律行為は初めから要素の錯誤を含有しなかつたどころではなく、会社の設立および社長すいせんについては上告人らの努力の跡をさへ看取せられるのである。もつとも事実認定の問題であるから、原審の自由専権に属するとはいへ、以上の諸事実の存在したことをもつて、本件法律行為の当時、すなわち、「昭和三三年三月二九日」および「同年四月七日」の時点において、安村虎之助が観光会社の設立したがつて松崎恭子を社長とする意思を有しなかつたとの認定は、認定法則上とても出てこない。(安村商事と松崎巧間の借入関係等の解釈措置は昭和三三年四月二日なされたとしても土地使用権提供の表意をなした後であり、かつ、このことが観光会社取りやめの必然性はなく、取りやめをきめた事実もない。)また昭和三三年四月九日所有権登記の当時会社設立準備会が開催せられているのであるから会社設立の意思はむしろ強力に存していたことを示されたものであるそうであるとすれば、判示法律行為の成立過程において詐言を申し向けたものではないことが、原判決の認定事実によつて示されており、只その後の障害によつて会社の実現をみることができなかつたものであるにすぎないといわねばならない。したがつて契約の解約をなすことをうべきばあいがあるとするは格別であるが法律行為の縁由にかしがあり、それが法律行為の要素の錯誤を招来すべき当然無効の基準条件を充足したものとすることはできない。
原判決の理由の説明ないし証拠開示によつては到底判定せられるようなことの合理的理由を肯定することができず原判決は結局理由不備の判決であることを免れないと思料する。
第四点重要な法令違反(第一点とあわせて御審理を乞ふ)
一、原審における松崎巧(昭和四〇年二月八日)調書によれば、安村虎之助との金銭上の問題解決のことがあり、その結果、本件不動産を上告人(安村商事)に譲渡することになつた旨、また、爾後において観光会社の設立について公聴会をひらいたこと、同会社の株主を募ることを松崎巧において活動した旨等の供述があつて、このようなことは、観光会社の設立について、その前躯的処理をかねて安村虎之助と松崎巧の関係において、本件山林を上告人(安村商事)に移転するについて、その移転の時点において、なんら阻誤するところのなかつたことを認定すべき資料であり、既に原判決においても、安村と松崎巧とのこの間のいきさつを認定しながら、所有権移転の結果的事実について、その過程の縁由錯誤を認定せられたことは、いかにも論理相通じないものであり、認定法則に違背するものといわなければならない。
二、松崎巧と上告人松崎恭子との夫婦関係より考へると、松崎巧が恭子にたいし、本件山林所有権を移転すべき事情について連絡がなかつたと認めることは、特別の事由のないかぎり、至難であり、仮りに、松崎巧が恭子に内密で、その事情をかくして、提供行為をしたものとすれば、安村虎之助の言行いかんにかゝわらず、その責は松崎巧に帰するのであつて本件法律行為の錯誤を主張することは、法律行為の内容自体に関しないことについて、到底認容せらるべきことではない。
原判決ではその認定せられた、錯誤に抵触する証言等すべて排斥せられたのであるが、すでに松崎巧について債務解決および観光会社設立意図に基く所有権移転の経路について形式的事実をみとめながら、しいて、錯誤を認定せられたのは、無理な認定であるといわなければならない。
第五点重要なる法令違反(第一、二点とあわせて御審理を乞ふ)
原審証人松崎恭子の昭和四〇年二月八日の調書によれば、同人が安村虎之助と会談したのは一回位であり、それは凡そ、昭和三三年四月六、七日頃であり、(一)その前後観光会社のことは松崎巧より聞いたことがある旨(二)安村虎之助から「松崎さんは公務員だから奥さんを社長にすればいいじやないかと言はれました」旨、および「主人もそのことを言うのは言つておりました」旨等(その他観光会社設立の意図および活動が行われていたことについて松崎巧と同じ証言がある)によると、恭子が社長になることについてとくにそれが山林所有権を出すか出さないかの要件となるべき話し合いの存しなかつたことを認定するの外なく、ことに、山林を提供して大株主となり、利益を収めることに重点があつた趣旨に帰するが、恭子が社長になることが、法律行為の要素であつたこと等到底認定すべき資料は存しない。このことは事実認定の自由の問題でなく、事実認定の矛盾阻ごの問題であつて原判決は認定の法則に反するものといわなければならない。